【風俗】貴方が求めているのはどのような風俗ですか?ブログ:17/10/30
終戦直後、
わしたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
母親と姉貴とわしの3人で、
父親は南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の朝方食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分は姉貴とわしが食べ、
母親はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったわしは、
母親はサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして午後のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたわしは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
わしはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母親に頼むのであった。
サツマイモばかり食べている日々なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
わしたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
姉貴とわしはたまに焼芋にありつけるのだが、
母親は決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくわしたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、父親も南方戦線から帰って来て
わしたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
姉貴とわしにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母親。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母親。
母親は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
母親の仏前に焼芋でも供えようかとわしは思う。